【元ガリンペイロの追憶(下)】
いや、そんなもんって言うけど大金よ、彼らにとっちゃ。ま、正直、安い命だよね。
何回も当てたやつもいるけど、その金で何か他の仕事するっていうのは彼らの発想にはない。
当てた、使う、また潜るって感じね。
サンパウロは今、雨です。暑いイメージの強いブラジルですが、南部では極一部ながら、雪の降る地域もあるのです。
サンパウロは標高800米あるので、天気も変わりやすく、今日のように雨も降ります。
雨が降ると洪水、停電、渋滞が発生、よく人も死にます。
かつて、渋滞中のトンネルが浸水、数十人の死者を出したこともあります。
あぁ、嫌だ。溺死。僕的には最悪の死に方です。
で、ガリンペイロ。全く視野の利かないアマゾンのお汁粉のような水のなか、
いつ崩れてもおかしくない土砂を背中で感じながら、 給水管で金探し。死ぬとしたら、窒息死。
で、ピラニアの餌になるか、水面に屍を晒す運命。・・・辛すぎ。
というわけで、文中のポルトガル語。
バイアーノ=ブラジル北部のバイーア州出身の人。
同州は音楽、カポエイラなど黒人文化の発信基地。
エンプレガード=使用人。
カミニョン=トラック。
ブラジルの日本人はポルトガル語を日本語に混ぜて使い、それを
コロニア語と呼びます。
女郎、毛唐、黒ん坊などの超一級差別用語が織り交ぜられるのも魅力的です。
では、ガリンペイロの語り、後半戦、よろしくどうぞ〜。
【元ガリンペイロの追憶(下)】
まあ、潜水夫のなかでもよく金脈当てるやつっていうのがいるんだよ。度胸のある奴。
一回潜ったら一、二時間は上がってこない。そういうのはバイアーノが多かったね。
取り分は六・四で潜水夫が六取るんだよね。まあ量にもよるけど当時、二回当てたら車一台買えるっていう程度、
その潜水夫が。いや、そんなもんって言うけど大金よ、彼らにとっちゃ。ま、正直、安い命だよね。
何回も当てたやつもいるけど、その金で何か他の仕事するっていうのは彼らの発想にはない。
当てた、使う、また潜るって感じね。
そんな死と背中合わせの仕事してるから、命の感覚っていうのが、僕らと全然違うのね。
人殺すっていうのも平気。だから、殺人も日常茶飯事だったよ。
パーンって銃声がして、行ってみると人が倒れてる。もう、しょっちゅうだから、誰もかまわない。
運が悪いっていうか、危険かどうかっていう状況を見極められなかったやつ、
しょうがないって感じね。僕も一回(足の銃痕を見せながら)危なかったけどね。
ま、よく当てるって評判のやつに僕らも頼むの。
どっか女んとこや飲み屋にいるところを引っ張ってきて、「潜ってくれ」って。
すると、川に足をチャプチャプつけながら「うーん、今日は気が乗らない」とか「天気が悪い」とかグズグズいうの。
さすがに彼らも自分が死ぬのは怖いんだよ。
もちろん、僕らも強制はできないよね、死ぬ可能性のほうが高いんだから。
半分「死ね」って言ってるみたいなもんだもんね。
なだめて、すかしてね。一度、そいつが「リンゴが食べたい」って言い出してね。
そこにはないの、リンゴ。しょうがないから、川に止まれる飛行機、
ほら、水上セスナで近くの町まで買いにいったことがあるよ。
まあもっとも、後からはもっと大きな船、三百平方米くらいかな、を買ってクレーン使ってやってたよ。
大体、五人から八人いるエンプレガードも住まわせてね、家とかもあるわけ、
その船の上に。女郎も三人住まわせてたよね(笑)
で、船を移動させながら金を探すんだけど、滝がいくつかあるわけ。
そこをその大きな船で下らなきゃいけない。下る方法はあるんだけど、その技術が分からない。
しょうがないから、船をバラしてカミニョンで運ぼうってことになった。
エンプレガードに「一週間で戻ってくるから、その間に船解体して積む準備をしとけ」って言って、僕はポルト・ヴェーリョにカミニョン探しに行ったのよ。でも、街に戻ると色々と用事が出来て結局、
その滝のところへ戻ったのは、一ヶ月後だったの。
そしたら、何をどうしたのか船が流れて滝に引っかかってるわけよ。
ま、無理に滝を下らせようとしたんだろうね。
何やってんだーって、言ってる目の前でその船、滝にドーンと落ちちゃった。で、終わり。
ま、投資したくらいは儲けてトントンだったし、面白かったしね、そろそろ潮時かなって。
家に帰るたび母親に「お前、人間の顔してない」って言われてたっていうのもあるけど。
もっともその頃、金はあまり出なくなってた。
そしたら、ポルト・ヴェーリョの人口もグッと減るんだよね。でも、まだ今でもやってる日本人いるよ。
そろそろ、雨も上がったね。ここの雨はこんな感じよ。
ダーっと一時間くらい降って止むの。さて、(マデイラ・マモレ)鉄道駅の方に行ってみましょうかー。
投稿者 dragon : 12:17
【ガリンペイロの追憶(上)】
大きな金脈が見つかると船がほんと歩いて川の向こう岸に渡れるくらい集まっちゃうわけ。
船の橋。で、川岸には街ができるんだよね。
【ガリンペイロの追憶(上)】
アマゾンの照りつける太陽はサンパウロで慣れた肌には暴力的だ。
ロンドニア州都・ポルト・ヴェーリョの一月下旬、午後三時。
「今日はそんなに暑くないよ。マナウスなんてもっと凄いよ」。
元ガリンペイロだったというT氏(57)の運転で市内の目抜き通り、
セッチ・デ・セテンブロを走る。しっかりした運転技術だが、
スピードと危険を楽しんでいるかのようなハンドルさばきである。
突如、熱帯特有のスコールがフロントガラスを叩く。視界ゼロ。
「こりゃダメだな。ちょっと、ジュースでも飲みましょうか」。
T氏は叫ぶように言った。クプアスーとアサイーのジュースがテーブルの置かれて間もなく、
T氏は問わず語りに話しだした。
昔、ガリンポしてた、っていっても二年くらいだけどね。
まあ、始めたきっかけっていうのは当時してた商売の取引先の人間が僕に借金しててね。
そのかたにドラーガ、金のしゅんせつ船ね、六×十二メートルくらいのをくれたわけ。
それがまあ、ガリンポやるきっかけ。
その頃、金で沸いてたからね、この街。色んなところから人が入って来てて、
活気はあったよね。もちろん、ガリンペイロなんかもヘッジかついでやってくるわけだ。
まあ、そういう人間を「俺んとこで働かんか」って雇うんだよね。だから、
僕らはポルト・ヴェーリョで人探しして、自分のところへ連れていくの。
僕がやってたのは、マデイラ川なんだけど、そうね、ここから二百五十キロくらい上流のところ。
川からどうやって金をとるかというとね。メルグリャドール、潜水夫ね。
彼らに空気管咥えさせて、命綱つけて潜らせるわけ、船から。
一抱えあるような給水管に抱きつかせてね。
それで川の下には泥、土砂っていうかね、が溜まってるでしょ、
それをね、潜水夫が重し役になって、給水管で吸い上げる。
まあ、五メートル下くらいに砂利があってその下に金脈があるのよ。
で、潜水夫は給水管を少しずつ動かしながら移動していく。
で、僕らは船上で板の上に毛布広げてね。給水管から出る土砂やをそれで受けるわけ。
金が出るとね、ほんと毛布が、そうね、(私のノートの表紙を指しながら)この位、まっ黄色になる。
で、その毛布が黄色の毛布になったら、エンジンを止めて、毛布を取り替えるの。
でないと金がもったいないでしょ。
その作業をしてるとね、ほら、エンジンが止まるから、
周りの船の連中も「あっ出てる」って分かるからね、船で体当たりしてくるの。
まあ、分捕ろうって魂胆ね。僕は機関銃で武装してるのが知られたから大丈夫だったけど、
二、三回それが原因の撃ち合いなんかも見たよね。
大きな金脈が見つかると船がほんと歩いて川の向こう岸に渡れるくらい集まっちゃうわけ。
船の橋。で、川岸には街ができるんだよね。
クルテイラっていうガリンペイロの宿場町。食堂から、宿泊所から売店、女郎屋まであるの。
金が出るところを移動する町なんだけど、そこでの売り買いはお金じゃなくて、
全部金でやりとりするの。だから、腰のベルトに小さな砂金の袋をいくつもぶら下げて歩くわけね。
この潜水夫の仕事っていうのは本当に危険ね。だって、いつ土砂が崩れ落ちてくるか分からないでしょ。
泥で何も見えないわけだし。僕なんか川に入るのも怖い(笑)。
だから、常に土砂の面を背中に当ててね、崩れてくる感覚があれば、
命綱を引っ張って知らせるわけ。それを船の上の人間が引っ張るんだけど、
空気管とか命綱が絡まってて、上がらない時があるわけ。
そうなると、もう終わり。土砂に埋もれておしまい。文字通り、死と背中合わせってわけ。
で、すぐその綱とかを全部切っちゃう。なんでかっていうとね、
船も川にゆっくり流されてるから、そのままにしておくと(潜水夫が錨の役割をして)船がひっくり返っちゃう。
するとこっちが危ない。
だから、いっぱいそういう潜水夫の死体が川底にあるわけだけど、
それが作業してると、よくプカーと浮かんでくるんだよね。
そうそう、他の日本人がやってた船ね。十六人死んだよ。
十六人。で、連邦警察に疑われてね。分け前やりたくないから、
殺してるんだろうってことで。操業停止になっただけだけど、結局。
僕?僕の船では幸い人が死ぬってことはなかったね。(つづく)
ーサンパウロ 「ニッケイ新聞」 堀江剛史記者
投稿者 dragon : 08:51
こんにちは、ヒトです。
先週末、帰って初ギグで、ポーランドのクラカウという中世の街に行ってきました。
街並みは中世のままなのに、夜になると、ほんとに沢山の人が街の広場にくり出し、現代のオープンカフェ、バーやクラブなどに集まります。
首都ワルシャワから南へ下ったところにあるこの街は、先日亡くなられた、バチカン市国教皇の生地でもあり、年間沢山の観光客でにぎわっています。
そんな中世の世界にも、なんと若者の集まるクラブがあり、週末は若者でいっぱい!その日はヒトがDJということもあって、”ジャパンナイト”な夜でした。バーのガールズたちもみんな髪にお箸をさしてかんざし風に。。わたしはサービスして夏ということもあって”ゆかた”で参上。選曲はちょっとベルリンな感じで、最近好きな”ミニマルテクノ”と”テックハウス”。ガンガンのシイセとデープなベースで、着崩れしながらも大変盛り上がった夜になりました!ポーランド人はドイツ人とは違って、オープンで気さくな感じ。物怖じせず、楽しみを楽しみとし分かち合います。みんなケータイに英語でメッセージを書いて、わたしにエールを送ってくれました。特に女の子がかわいいっ!!キュートで弾けたいい夜でした!
カトリックが強く根付いているポーランド、特に教皇の生まれた土地ということもあって、中世の街並みがそのまま大事に残されたとても美しい街です。またそこに暮らす人々も馬車や電気自動車を利用して、自分たちの街を大事に守っていました。
次はミュンヘンです。お楽しみに***
投稿者 dragon : 17:34